情報が管理される時代

久しぶりに書きます。先週は試験があったりいつの間にか@niftyのIDが止まってたりしたので何も書けませんでした。

今週の日曜日からSuicaの利用範囲が広がるらしいです。まぁすごく便利になって良いことなのですが、手放しに歓迎するのもどうしたもんかと思ったりしてます。
個人情報保護法が施行されてから企業はすごく頑張ってるわけで、たまに情報漏洩などのニュースが聞かれますが私達の情報は慎重に管理され保護されるようになったと言えます。しかし、個人の立場から見ると私たちは自分の情報を守るどころかばら撒きまくっています。
例えばSuicaには何処で乗って何処で降りたとかそういった記録が全部入ってます。買い物もできるようになりましたから、何処でいくら使ったなどといった情報も記録されます。
詳しくはよく分かりませんが、乗車記録はカードそのものに書き込まれる以外に同時にどこかのデータベースにも記録されてるはずです。切符を使ってればこういうことはないですが、Suicaで改札を一回通っただけで自分の情報を他者に提供することになるのです。
インターネット・携帯電話・クレジットカード・ETCなどさまざまな場面で私達は気づかないうちに自分の情報をばらまいています。


プライバシーが保護されないからだめだとか言うつもりは全くありません。
ただ、自分が発信する情報・受け取る情報を他者に管理されるということの怖さを理解したほうがいいなと感じたのです。
ドイツでのハッカー防止法やアメリカでのクリッパーチップ論争みたいな事が今後日本で起こるとは思いませんが、これらから分かる様に政府など権力を持った機関というのは情報を掌握したがるものです。そして、現在の日本では彼らが容易に私達の情報を手に入れることができ、それを管理・操作することが可能なわけです。実際盗聴法なんてものがあるくらいですから。


例えば北朝鮮なんかを見てみれば、情報統制というのが人を支配するのにいかに有効かが分かるはずです。
だからこそ、テレビなどのメディアの情報には政府の介入があってはなりませんし、インターネットは個人が自由に情報を発信できる夢のシステムなわけです。しかし、実際にはそれらさえも支配しようと権力者達は思っているのです。
一方で、もしも私達と北朝鮮の人々がチャットなどで自由に会話することができればそこにはいろいろな可能性が見えてくるわけです。コミュニケーションには人を動かす力があるはずです。


私は例えば盗聴法やクリッパーチップが悪いとは思っていません。良いとも思っていませんが、犯罪を防止するという目的がある以上ある程度仕方がないことでしょう。あの9.11テロを見てしまった以上、プライバシー侵害だからメールを覗くななどと主張するのも気が引けます。
今後私達がばら撒く情報の種類も量も増えていくでしょうし、私達の生活のあらゆる場面で情報というものが大きな存在となってくるはずです。それらが適切に管理されないことは非常に危険であり、管理されることによって多くの利益が私達にももたらされているわけです。
でもやっぱり気持ち悪いのです。
情報というものは非常に強力なだけに適切に管理することが必要でしょう。しかし、そうして管理されている状況にただ納得するのもどうかと思うのです。
私達は知らず知らずのうちに与えられる情報によって影響を受けています。
ダイエットの仕方の捏造番組を見せられるぐらい大したことではない気がしますが、たった1時間のテレビ番組が沢山の人々を動かしました。また、人々を戦争に駆り立てたり、偏見を植え付けたりする手段としても情報操作は行われています。自分も知らず知らずのうちに盲目的に情報を受け入れ自分の人格を作り上げているのかと思うと、ものすごく気持ち悪く感じるわけです。


とかなんとか、ここ数日いろいろ考えてました。
インターネット黎明期のハッカー達の思想が少し理解できた気がしました。彼らは隔離された情報を解放することの重要性を訴えて活動していました。
今では、ハッカーといえば悪者というイメージが定着してしまいましたが。
情報科学を今後学ぶ身として、こういったことに無関心でいてはならないなと感じました。
まぁ、今の自分にできることは何もないです。これから沢山勉強しなくては。